■ 【番外編2-131106】 第2部5章 11話 「岐路 」7 から分岐
ザイのやさぐれ恋模様
栗色の髪をうつむけて、気まずさを押し殺していたらしい彼女が、たまりかねたように振り向いた。
「……あ、あの」
しばらく言葉の先を待つが、口ごもって呼びかけた「あの」から先が続かない。
ふわりと巻いた肩先の髪が、陽を浴び、琥珀色に輝いていた。彼女は戸惑いにゆれる瞳で、せっぱつまったように注視している。
肩に、靴に、石畳に、木漏れ日がまだらにゆれていた。
領邸敷地のぐるりをとりまく塀の先、こんもり茂った青葉の向こうに、壮麗な屋根が覗いている。晴れた真夏の昼下がり、道に人の姿はない。石作りの塀に沿い、まっすぐ伸びた遊歩道が、ひっそりと夏日に照らされている。
さわり、と木立の梢をゆらし、夏の風が吹きすぎる。
「じゃ、俺はここで」
ザイはそつなく切りあげた。帰宅を促し、遊歩道の塀にもたれる。
道の青葉を透過した木漏れ日ちらつく遊歩道を、彼女はためらいがちに振り向き振り向き、従業員宿舎がほど近い、裏手の門へと戻っていく。大人しく、たおやかで、もろい外見。それでいて芯に強いものを宿している。
まっすぐな瞳が印象的だった。誰もが怖気づく権威を前に、一歩も譲らぬ危うい真摯さ。それを秘めた清廉な瞳。引っかかるのは "危うさ"の部分だ。
白襟・紺地の領邸の制服。あの押しの強い双子の片割れ。名前はラナ。
声の大きな片割れの陰で、ひっそり微笑んでいるイメージだが、いざとなれば決して曲げない、あの強気な妹よりもよほど強い意志を持っている。直後に、腰が抜けたとしても。
小柄な背中が角を曲がるのを見届けて、ザイは塀から肩を起こした。
彼女が消えた角とは逆の、北門通りへ足を踏み出す。
突き当たりの広い車道を、強い日ざしが焼いていた。
祭の残骸を積載した荷馬車が、石畳の車道をガラガラ行き交い、交通整理の制服が、手をあげ、指示を出している。
北門通りを横断し、南の商業街区に戻る。ぶらりと手近な街角を曲がり、そして、ザイは、
地を蹴った。
目指すは、闇医師が営む斡旋所。五番街の裏通り、人材斡旋業バッカー商会。その裏手にある診療所に、件の客が保護されている。今、副長が赴く先は、そこくらいしかないはずだ。
店舗わきの路地を入り、隣接した裏庭に入る。一階の壁には扉が一つと、窓が二つ。換気のためだろう、窓はすべて開け放っている。客が入った個室は手前。
窓から覗くと、客は窓際の寝台で眠っていた。何事もないその寝顔は、部屋に運び入れた、ゆうべの時点と変わらない。そこに、見舞い客の姿はない。
あいた裏口から侵入し、ざっと館内を見てまわる。やはり、副長は見当たらない。
「見込み違い、か」
ザイは舌打ち、すぐさま通りへ踵を返した。あるいは、既に出て行ったか──。
となれば、商都の広大な街路から、たった一人を捜し出すことになり、生半可な課題ではなくなる。距離が開くほど至難の業、この近辺を離れる前に、捜し出さねば、お手あげだ。
荷馬車行き交う大通りに出、足早に横断、西の街区に立ち戻る。
制服を着た官憲が二人ひと組でうろついていた。トラビア街道沿いの森林で、多数の遺体があがったからだ。手配されているのはウォードだが、仲間の遊民を見てとれば、呼び止めること請け合いだ。ここは客を預けた診療所が近い。そんな場所で接触し、あの客との関係が万が一にもたぐられてはまずい。
煉瓦の街角に滑りこみ、壁にもたれて天を仰ぐ。
「たく。どこへ行っちまったんだか」
街角の日陰を出、店舗の扉、窓の向こうを片っ端から見てまわった。茶店や飯屋、裏通りの娼家──。物には頓着しない副長のこと、立ち寄りそうな場所は多くない。さすがに祭の翌日とあって、閉店の店舗が多いのも救いだ。だが、
「……いねえか」
したたる汗を舌打ちでぬぐって、ザイは視線をめぐらせる。
夏の暑さが体力を奪った。青い空と、輝くような夏の雲。昼下がりの人けない街路に、影が色濃く落ちている。一体どこへ行ったのか。
彼の居所を、当て所なく探した。
街の中央付近に位置する街路は、既にあらかた見てまわった。北の行政街区は除外して構わない。もしや、南の正門付近にまで足を伸ばしたのか──。
舌打ちで街路を駆け抜ける。
目抜き通りの角までくると、ザイは壁に手を付いた。膝をつかんで背をかがめ、走り続けの荒い呼吸を整える。
「──たく。だりィな畜生」
客の身柄を引き渡し、当分休めるはずだった。
疲労が重く圧しかかる。
昨日は深夜まで働きづめだ。北門通りの刺殺事件、仲間の禿頭の騒動に続いて森林地帯での大規模捜索、部隊撤退の指揮をとり、首長のいる商都まで休む間もなく取って返した。明け方になって就寝したが、それで十分とは、とてもいえない。
ぽたぽた汗がしたたって、歩道を黒く染めていく。
「……なに、やってんだかな、俺は」
下まわりでさえサボリをきめこむ、この暑い昼のさなかに。
額の汗を、腕をもちあげ、無造作にぬぐう。膝に手を戻しかけ、ふと、その利き手をひらいた。
いつもの自分の手の平だ。だが、かすかにまだ残っている。脆くもはかない、ぬくもりが。
副長を追おうとした肩を、あの時とっさに引き戻していた。放心した副長が反射的に払いのければ、やわな女子供など一溜まりもない。壁に手加減なく叩きつけられれば、大怪我するのは目に見えている。だから肩を引き戻した。それだけのことのはずだった。
夏のひなびた陽を浴びた、昼下がりの異民街本部。廊下を見つめて呟いた、細い眉が脳裏をよぎる。
『……副長さん、お気の毒だわ』
廊下を歩み去る長髪を、心配そうに見つめる瞳。
ザイは苛々と舌打ちする。副長の方は、あの客に夢中だ。
「──行くか」
未だ荒い呼吸をなだめ、顎先を伝う汗をぬぐって、かがんだ背中を引き起こした。
建物の直線的な輪郭が、強い日ざしをさえぎっていた。ミモザ祭の翌日で、街は気だるくひなびている。手に残るぬくもりの存在が気になって、握りつぶさないよう軽く握った。
人けない通りに足を踏み出し、副長探しを再開する。
赤いリボンで歩いたところで、別段どれほどのこともない。どこかで喧嘩になったとしても、どうせ何事もなく戻ってくる。双子の片割れの尻拭いなど、しなけりゃならない義理もない。それは十分わかっている。
捜索を終えた裏通りから目を戻し、四車線の幅がある目抜き通りに目を凝らす。
「いた」
思わず、ザイは呟いた。
こちら側の道の先、南に向かって三区画ほど先の歩道だ。
ためらい、長髪をしばらくながめ、軽く息をつき、歩き出す。
「……簡単に言ってくれるよな」
あの剣呑な副長から、頭のリボンをとってこいとは。
行きがかり上、引き受けはしたが、片手間仕事といえば嘘だった。
気楽に頼んだ彼女は知らない。あれがどれほど恐ろしい男か。焔燃えさかる戦場に、髪を煽られ、立ちはだかった、鬼神のごとき凄まじい姿を。
「──なんで、こんな真似してんだか」
ザイは苦々しく舌打ちする。重い足どりを、ふと止めた。
ひょいと街角から出てきた男が、ファレスの肩をひっかかえたのだ。
真っ赤な花柄の真っ青なシャツ。いかにも軽薄な身形の男。こんな真っ昼間からぽん引きか? いや、真っ赤に染めたあの頭は、
「ラトキエの放蕩息子、か」
釈然としない顔で首をひねった。宗家直系の私生児、レノ。だが、あの赤頭のごくつぶしは、天敵なのではなかったか? あれを罵倒する副長を、何度目撃したことか。だが、その当の赤頭は、副長の肩に腕をまわして親友のように親しげだ。
「……。帰るとするか」
ザイはやれやれと踵を返した。
抜け目のない赤頭が、副長を冷やかす恰好のネタを見逃すとは思えない。頭のリボンを見た途端、指摘するなり爆笑するなりしただろう。ああして仲良くのほほんと道を歩いているのなら、悶着は既に過ぎている。ならば、こっちは用済みだ。
街路を入り、日中の往来を西側に渡る。
次の通りも西に直進。そして、次に現れた通りも。
南北に走る街の通りを、ひたすら西に直進すると、砂塵にかすむ通りの向こうに、薄汚れた木箱が積まれた埃っぽい町並みが現れる。
それを境に、街並みが徐々に荒んでいく。苔で黒ずんだ灰色の建物。壁に大きく走るひび割れ。派手なペンキで書き殴った木箱。人けない路地を紙ごみが舞い、砂が道ばたに吹き溜まり、軒の下には大きな蜘蛛の巣。
更に奥に歩くに連れて、荒んだ様相が増してくる。遊民の根城、人呼んで《 異民街 》
外周にある店舗の多くは鍋ややかんなどの鋳物を扱い、裏に入ると、刀剣の扱いが多くなる。
この界隈は、荒っぽい風情を醸して、冷やかしの客を寄せ付けない。だが、灯火に蛾が群がるように、吸い寄せられる者もいる。堅気ではない、いわゆる与太者。街角の陰には常に、酔い潰れて寝ている者や、目つきの悪い剣呑な輩が何事か企むようにたむろしている。
とはいえ今は、軒を連ねる大半が店の扉をかたく閉じ、通りは閑散とうらぶれている。北方の豊穣祭に参加するため、こぞって留守にしているからだ。ノースカレリアの豊穣祭は、日頃蔑まれる旅芸人が世間の脚光を浴びることのできる数少ない貴重な機会だ。
よく知る街並みをしばらく進むと、砂塵にまみれ黒ずんだ四角い外観が現れた。
ザイはぶらぶら歩きつつ、見るともなく眺めやる。周囲のこみいった建物より、ひときわ高い三階建て。壁に並んだ多数の窓。カレリアでの根城、異民街本部。夏日がじりじり照りつけて、灰色の壁を焼いている。
ふと、先の失態を思い出し、ザイは忌々しげに舌打ちした。
「なんで、あんなこと言っちまったんだか」
──なんだって旨いスよ、あんたが作ってくれたもんなら。
気づいて言い添えるも無駄だった。不用意なことを口走ったばかりに、彼女は、寮まで送った道すがら、ずっと気まずい顔で固まっていた。
息詰るような沈黙の中、相手の心中を斟酌しながら連れ立って歩くのは気詰まりだったが、言葉を連ねれば連ねるほどに泥沼の深みにはまる気がして、ザイもあえて口をひらこうとはしなかった。
うつむき気味の戸惑い顔が思い浮かんで、なんとなく、げんなりと嘆息する。だが、今さら失言を悔いたところで、もはや、どうにもなりはしない。
もやもやした気分を持て余しながら、廃墟のような玄関に向かう。ともあれ、少し寝ておくか、とあくびをしながら、ひび割れた壁の角を曲がり、
ふと、そこで足を止めた。
壁に並んだ窓の中、思わぬものがうごめいている。小柄な背、白い顔、くりくり動くたくさんの瞳、白い襟の、紺の制服──。
とっさに壁に背をつけて、ザイは片手で口元をつかんだ。
あの制服は、ラトキエ領邸メイド連ご一行様だ。何やらしきりに小首をかしげ、忙しなく「何か」を探している……。
悪寒が走り、壁にもれて、しゃがみこむ。
膝の上に腕をおき、溜息まじりに夏空を仰いだ。
「……入れねえ」
予期せず、壁で日なたぼっこ。この暑い日中に。
いいかげん諦めて帰らないものかと、喫煙しながら、しばし待つ。
げんなり角からうかがえば、本部の壁の窓の中、わらわら頭がうごめいている。ものすごい執念だ。戸棚の中まで覗いている。そんな場所にいるはずもないのに。
ん? と匂いをかぐように、一人がぴくりと顔をあげた。
「……かまかぜっ?」
窓辺でうごめく全員が、ぱっと一斉に目を向ける。
「かまかぜっ?」 「かまかぜっ?」
「かまかぜっ?」 「かまかぜっ?」
ザイは煙草を投げ捨て、腰をあげた。
「──見つかった」
そそくさ道を逆走する。
メイド服の団体が、わらわら飛び出してくる前に。
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